ウィーンからブダペストを目指す(1985年8月20-22日)
1985年8月20日、ウィーンから列車でブダペストに着いた。これまでソ連、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアと旅行し、ハンガリーが今回の予定では最後の東側だった。ブルガリア、ルーマニアは情報不足で準備出来ず、ユーゴスラビアも同様、後でわかったがユーゴスラビアはビザが必要なかったので行かなかったのは残念の極みであった。ドブロブニクなどのアドリア海沿岸都市、ヴェネツィア共和国との関係で塩野七海さんの著書で認識はしていたのだが。それと限られた予算から、その中で滞在国を選択せざるを得なかった。旅程上、チェコスロバキアのプラハから西ドイツのニュルンベルグへ出国し、ウィーンへ移動し、ブダペストを目指した。
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オーストリアからハンガリーへの国境通過
オーストリア・ハンガリー国境通過はこれまで通過した東側国境の中で最もスムーズであった一つだ。ビザは事前に東京の大使館で取得していたので問題ない、パスポートとビザを確認し、スタンプを押して入国となった。所持金などのチェックはなかった。
ハンガリーに入国しても美しい農村風景が続いていたがどことなく古めかしさを感じる要素が含まれていた。特にブダペストに近くなってからは建物が煤けて
ブダペストの宿泊先
ブダペスト駅で安ホテルを紹介する窓口があり、インデペンデンス橋近くにあるブダペスト大学寮を斡旋してもらった。夏季休暇中の有効利用だ。一泊12ドルだったと記憶している。こんな設備のいい学生寮が用意されているとはハンガリーの学生は幸せ者だと思った反面、日本の貧しさを痛感した。
当日は憲法記念日にあたりドナウ川沿いのゲラード山にレーザー光線を当てるイベントがあると聞いたので日が落ちてから近くの橋まで見に行った。ぞろぞろと地元の人も橋まで散歩がてら家族連れや若者などが集まっていた。その中で日本人(東アジア系)は稀有であったと思われるが特に関心を示すわけでもなく、
食事
東側の国ではどこでもそうだったが、食事をどこでするかが課題であった。レストランは容易には見つからず、食料を買おうにもなかなかショップが見つからなかった。ブダペストでは宿泊していた大学寮の前の道をかなり歩いたが、食料品を買える店は見つからなかった。バーはあった。
ブダペスト中央市場
ペスト地区をぶらぶら街を歩いていたら市場を見つけた。それは中央市場だった。興味本位で中に入ってみたらすごい活気があり、またカラフルなパプリカ、夏の野菜や果物が山積みにされていた。あるコーナーでは酢漬けキャベツ、ドナウの魚(鯉)が並べられていた。途中、鯉を運んでいる光景に出くわした。筋骨隆々とした上半身裸の人が2人で鯉が入った入れ物を運んでいった。
市場の中でスイカを見つけた。縞のないやつだ。無性に食べたくなり小さめのスイカをひとつ買ってみることにした。そこからドナウ河畔まで出て、持っていたナイフで4片に切りほおばった。甘くてとても美味しいスイカだった。ドナウの川面を眺めながら喉の渇きと空腹感を満たす。
市場の中で写真を何枚か撮ったのだがみんな無関心のようだった。こちらは恐る恐るシャッターを切っていたのだ。もくもくと買い物をする人、商品を売る人、日本と変らなかった。私はソ連でのこともあったのでカメラを向けるのはなかなか勇気がいった。
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右下、担いでいるのは食用の鯉、左下はキャベツの酢漬け
石畳の修復
街中で歩道を舗装している場面に出くわした。小さくした花崗岩をコンクリートの基礎の上にきれいに並べ、それから砂で目地を整えていた。てきぱきと敷石を並べていく様子に見とれてシャッターを切った。
Ikarusについて
共産圏のバスといえばハンガリーのイカルス製が主流だった。これは、共産主義諸国内での分業体制が影響していたと考えられる。ナホトカ港から鉄道駅まで乗ったバス、イルクーツクでバイカル湖へ行ったバス、クラコフからアウシュビッツへ乗ったバスなど皆イカルスだった。
Ikarus社概要:
イカルス社は1895年にUhri Imre Kovacs- es Kocsigyarto Uzeme (roughly: Uhri Imre's Blacksmith Workshop and Automobile Factory)として創業された歴史のある会社であり、創業時は、という名称だった。第一次世界大戦中は、建設機械を製造し成長した。1927年に国際入札でバスを落札したが、大恐慌で倒産している。第二次世界大戦が始まると会社は復活し、急成長した。戦後、1949年、航空機製造会社を吸収し、Ikarusとなった。
1955年以降、Ikarus 620, 630 and 31の販売が急速に伸び、東欧諸国、中国、エジプト、ビルマ等へ輸出された。1971年には10万台以上が製造され、1973年には世界で第4番目のバス製造会社にランクされた。
東欧革命後、東ドイツ向けが減少し、1999年にはフランス・イタリア投資会社Iribusにより所有され、2004年には操業を停止している。2006年、Gabor Szelesにより買収され、ハンガリー国内、ロシア、中国で製造するため低床式新型バスが導入された。
ハンガリーの査証(ビザ)
代官山(当時)の旧山手通り沿い、デンマーク大使館の並びにあったハンガリー大使館で申請、取得したビザ。1985年6月。この時、ソ連のビザはバウチャーを申請していて、それが下り次第、狸穴のソ連大使館領事部でビザを申請取得した。その後、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーのビザを申請した。一カ国づつなので時間を要した。
その後
1985年8月20日-22日の3日間の滞在
ブダペストのバスとトラム1985年(YouTubeより)
ハンガリー読本
- 1965年のハンガリー革命 単行本2006/10/23 リドヴァーシ・ジェルジェ著 田代文雄訳 ハンガリー (文庫クセジュ 814) 1999/4/1 ヤーノシュ サーヴァイ (著), J`anos Sz´avai (原名), 南塚 信吾 (翻訳), 秋山 晋吾 (翻訳)







