東欧諸国1985
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ワルシャワとクラコフ

東西ベルリンで準備していた計画を実行、1985年8月9日、ワルシャワへ夜行列車で旅立った。この計画では、西ベルリンから東ドイツを通過し、ワルシャワ、そして、クラコフ、ワルシャワに戻ってチェコスロバキアのプラハへ、その後、西ドイツへ出て、ウィーンを経由して、ブダペストを往復するというルートに落ちついた。

Warsaw | Krakow

早朝、ワルシャワ着、その日の宿探しから

西ベルリン、Zoo駅(動物園駅)からワルシャワ行きの列車、きっとこの列車はもっと東、モスクワあたりが最終目的地ではなかっただろうか、でワルシャワ中央駅へ早朝着いた。Zoo駅の窓口で列車の場所を聞いたとき、職員の態度がかなりぶっきら棒だった。後から聞いたが、西ベルリンのZoo駅はどうやら東ベルリンの運営だということだった、これで納得。

8月10日、ワルシャワ到着後、先ず、したことといえばその日の宿探し、最終的には国営旅行社のオルビスへ行き安ホテルを紹介してもらった。その前に学生寮に泊まれるという情報がありバスを乗り継いでいってみたが、部屋(ベッド)がないとのこと。それでオルビスにやっかいになった。途中道に迷い女性に聞いたら親切にも連れて行ってくれた。 ホテルは駅から遠く、当時のレートで3500円程度だったと記憶している。貧乏旅行者にとっては結構な出費だった。これは強制両替(一日滞在あたり15USD、学生は7ドル)があったのと東欧旅行が精神的に結構応えていたいたから大枚をはたいたのだ。荷物をホテルに入れ、それからワルシャワ探索へ出かけた。目指すはワルシャワ旧市街、地図を見るとさほど遠くないので歩いた。 とにかく天気がよかったのでどんどん歩いて旧市街まで辿り着いた。途中、オレンジ色のカーテンウォールのインターコンチネンタル・ビクトリアホテル?の横を歩いたことを憶えている。割合密度の低い都市でかなり歩いた記憶。

城壁の前でアクセサリーを売る女性

城壁の入り口で一人の女性がアクセサリーを売っていた。ずーとここでそうしている様子。写真を撮っても良いかと訪ねてもあまり大きなリアクションはなく黙って首を縦に振るだけだった。何を考えてその時間を過ごしていたのだろう。


ワルシャワ旧市街

旧市街の広場、ここは第二次大戦で爆撃で破壊されたので、戦後図面を元に全く同じように復元された。キューリー夫人の生家はこの広場の裏手にある。ここの広場でポーランド人を見ている限り非常に平和に感じたが現実はそうではなかったというのが後からいろいろな書物から想像できた。

旧市街の広場 壁面に時計が

プラハへの鉄道切符購入

ここで一苦労したのは東ベルリンで鉄道チケットをワルシャワまでしか買っていなかったのでこの先をここで買わなければならなかったことである。ワルシャワ中央駅へ行き、買い方を聞き窓口の列に並ぶ。本当にここなのか心配であったので同じ列に並んでいる人に聞いてみるとここだという。1時間を経過しても順番は一向に前へ進まない。 2時間近く待ったのだろうかやっと私の番になりプラハとクラコフを往復告げると何か言っている。ポーランド語とロシア語のようだが私には理解できない。後ろの人が英語で通訳してくれた。どうもここの窓口ではないようだ。それに外国人は国際列車の支払いはポーランド通貨ではできないらしい。それでもう一度違う窓口の列に並び直して順番を待つ。今度は大丈夫そうだ。 しかし、支払いの方法はとても面倒だった。鉄道切符購入の予約を入れて、運賃が示され、それを持って一階下の両替所でドルからズローチに換えそしてその換金証明書を見せ支払うというものだった。今思えば闇両替等のアングラマネーでの購入を制限していたのだろう。

ボヘミアンエクスプレス

西ベルリンではワルシャワまでしか鉄道切符を買わなかった。よって、次の旅程の切符を購入しなければならなかった。軽い気持ちでワルシャワへ着いてからその先を考え切符を買えばよいと思っていた。  そして、ここ、ワルシャワで共産主義の現実に直面する。これは長蛇の列に並ぶということ。なんとも切符一枚買うのに時間がかかったこと。言葉の問題もあり、最初に並んだ列は国内線用、そして、国際線用の列に並びなおして、私の順番が廻ってきてホッとしたと思ったら、今度はあそこへ行って両替しろとか判子をもらえとか、それはそれは大変な思いで切符を購入した。  先ず窓口では、区間を申請して料金を見積もってもらす。その次に、その料金に見合うUSドルを地下の両替所へ行き交換し、その、換金証書とズローチを持って元の窓口へ行き、そこでやっと切符を受け取れるシステムだった。  列に並んでいた親切なポーランドの人のお世話になりながら、半日を費やして最終的には目的を果たせた。これは外国人に限ったことではなくポーランド人も切符購入には相当の時間を費やしていた。そして、ワルシャワからプラハ行き夜行特急列車の切符を手にした。特急列車の名称はボヘミアン・エクスプレス、1等寝台で$15でした。貧乏旅行なので1等寝台なんて凄く贅沢なのですが、これも外国人への規制でしょうか、これしか乗せてくれなかったのです。

ワルシャワ中央駅での食事

 切符をやっとの思いで購入したあと、中央駅の2階にあるカフェテリア形式のレストランへ遅いランチを食べに行った。食糧事情は良くないと聞いていたが、全くそのとおりで選択肢が全くなく、何かわからないけど、スープとチキンを食べたと思う。スープは細い骨がバラバラと入っているだけで何のスープかもわからなかった。チキンも小さいもの、パンも美味しくはなかったがお腹に詰め込んだ。

フランスから持ってきた自家製ワイン

ベルリンからワルシャワまで同じコンパートメントだったポーランド人とフランス人のカップルに、自家製赤ワインをご相伴にあずかった。ボトルに詰めただけで、もちろんラベルなどない。アルコールはほとんど飲めないが、勧められるままにこの赤ワインを口にしたが、とても口当たりが良かった。そういえば、ウオッカの飲み方も教えてくれた。オレンジジュースを用意し、それぞれグラスに注いで、先ずウオッカを飲み、その後オレンジジュースを好みで飲むというもの。こんなことをしている間に、私は寝入ってしまったようだ。

そのここ旧市街で再会、彼らはプライベートルームに泊まっていると言っていた。一泊10ドル。それとここではジーンズが安いといってリーバイスを買っていた。

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