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シベリア鉄道ロシア号へ乗り換え(1985年7月2日)

1985年7月2日、昼ごろハバロフスク駅に到着した。ナホトカから乗ってきた鉄道は極東鉄道(シベリア鉄道のナホトカ支線、ウラジオストク近くで本線に合流している)であり、ここでシベリア鉄道ロシア号へ乗り換えることになっていた。これは、シベリア鉄道の始発駅であるウラジオストクが軍港であるため外国人の立ち入りが禁止されているからだった。 ここで私にとって大きな事件が発生した。乗り換えの時間を利用して駅から駅前の街へ出たのだが・・・危うくシベリア鉄道に乗り損ねることになりかけた。顛末は下記にあるとおりです。

写真は駅舎を背にして正面に建つ探検家、エロフェイ・ハバロフの銅像(左上)、その右方向、バスと行き交う人々(左上)、その左方向、駅前の集合住宅(左下)、この建物付近で民警(ミリッツィア)に連行された。写真はあまり表現していないが行き交う人々の服装から清々しい夏の日だった。

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ハバロフスク Khabarovsk

最近の地図なので”さっぽろラーメン”という表示もある。駅前にも”さっぽろラーメンがあるではないか!シベリア鉄道駅正面からアムール川に向かってアムール並木通りが伸びる公園を繋いだ防災緑地のような広い道だった。(この地図は後日webより入手)

ソ連崩壊後、ヨーロッパへの飛行ルートがロシア上空を飛べることなり、丁度、ヨーロッパから日本へのフライトの多くはここハバロフスク上空を通過する。

左下の地図のロシアと中国の国境線は1990年代からの交渉で2008年7月4日に確定された。

ハバロフスク周辺 ハバロフスク中心地

私にとってのハバロフスク事件−ハバロフスク逮捕顛末記 (要するに写真を撮っていたら警察に連行され、ロシア号に乗り遅れそうになったということ)

1)ナホトカから乗り込んだ極東鉄道はここハバロフスクでシベリア鉄道へ乗り換える。路線はナホトカを出発してすぐに本線になるのだが、車両はそのままハバロフスクまで行く。これはウラジオストクが軍港であり外国人の立ち入りが禁止しているからである。乗り継ぎのため2時間程度の待ち時間が出来た。思いがけない時間が取れたと荷物をインツーリストの添乗員に預け、カメラを持ってさて探検と思って出かけたのがことの始まり。

2)駅舎を撮ろうと思って少し遠ざかったところから一望できる場所を探していた。何枚かと撮ったあと横をみると住宅街が広がっていた。好奇心一杯でその住宅街に吸い寄せられていく。プレイロットで遊ぶ子供たちを被写体に何枚かシャッターを切ったあと帰路に着き始めたとき後ろから私に話しかける人がいた。

3)何を言っているか私にわかろうはずがない。だが言わんとすることは身振りで手振りでそうだと思った。それは私の写真撮影らしい。彼をよく見ると警察らしい服装をしている。そして着いてこいと言っている様子。抵抗するのも憚られたので言われるままにしたら、警察署らしい建物に着いた。

4)ある部屋に通され数人の太った人が入ってきてカメラを出せと言う。断れる状況にもなかったのでので渋々渡した。そして、ここで待てといっているらしい。それから何やら電話をかけまくっている。時間を気にしながら待つ事30分、何も始まらない。ここはロシア語のみでまったくわからない。そのうち年配の女性がやってきて、何やら書類を手書きで作り始めた。しかも写しまで手書きで。時間がどんどん経っていくことが非常に気になったがなす術なくほとんどあきらめの状態。

5)シベリア鉄道に乗らなければならないことを身振り手振りで説明するがわかってもらえない。書類ができたところでそれにサインをといっている。何が書かれているのかさっぱりわからないがサインをしたらそのままどこかへ連れて行かれるのか、はたまた釈放になるのか、頭にはいろいろなことが浮かんでくるが、とにかく前に進まないと思い、思い切ってサイン。そのあと、カメラを返してもらうがフィルムは抜き取られていた。しかたなく没収するんだという表情だった。

これで目出度く解放されることになった。そして駅へ戻らなければらないことを説明するもわからない様子なので”インツーリスト”、”インツーリスト”というと合点が行った様子。

6)外のパトカー(もちろんソ連製4輪駆動、軍用車みたいなやつ)に乗せられ送られた先が、インツーリストホテル。駅のつもりだったがインツーリストホテルというのがここにはあったのだ。レセプションで英語の通じる人にシベリア鉄道に乗らなければならないことを説明する。レセプションからロシア語で警官へ説明、”よしわかった”という感じで、先ほど乗ってきたパトカーで今度は駅へ直行する。

かなりとばしていたみたい。目的の駅が目の前に見えてきてやや安心した。駅の前で降ろしてくれると思っていたら駅の横へ入り込む。そう、そのままプラットホームまでパトカーを乗り付け、ロシア号の横に着けた。こういう列車の乗り方あるんですね。感心、感心。

7)ロシア号からはパトカーに気づいたらしくインツーリストの添乗員マリナが列車のドアから顔を出した。私の荷物を降ろしかけているところ、間一髪滑り込みセーフとなった。あとからマリナにたどたどしい日本語でかわいく怒られた。どうも鉄道と交渉してシベリア鉄道を1時間近く待たせてくれていたらしい。

置いていかれなくてよかったと胸を撫で下ろす反面、一人の乗客のために小一時間も遅らせることができたシベリア鉄道とソ連のおおらかさ?に驚いた。列車に乗り込んだ後ナホトカから同行の人たちに心配をかけた旨詫びるとともに、その様子をいろいろと説明した。というわけで無事次の目的地、イルクーツクへ出発。マリナとシベリア鉄道に大感謝。

ハバロフスク、シベリア鉄道リンク

アムール川上流の2島など中国に移譲、中ロの長年の国境問題解決へ―ロシアメディア

2008年7月4日、ロシアメディアの報道を中国新聞ネットが伝えたところによると、ロシア政府はアムール川上流のタラバーロフ島と 大ウスリー島について、中ロの国境境界線工事が終わり、8月に中国に移譲すると発表した。ロシア連邦保安庁連邦保安庁(FSB)沿岸警備部北東国境警備局のワレリー・プチョフ局長が記者会見で明らかにした。

1969年にアムール川支流のウスリー川の中州にあるダマンスキー島を巡って中ソ国境紛争が勃発して以来、両国にとって 国境線画定は長年の課題。この問題を巡る協定は数次にわたるが、2004年10月に締結した「中ロ国境協定」により、 大ウスリー島のハバロフスク側の部分は、ロシアに帰属し、同島の残り半分とタラバーロフ島は中国に移譲されることが 決まっていた。この夏の移譲実現で、40年近い両国の国境問題が全面解決を見ることになる。

プチョフ局長によれば、島に駐在していた国境軍は撤収作業を終え、現在は各種設備の据え付け作業も完成、8月には国境警備隊を新駐屯地に派遣するとしている。さらにハバロフスク付近には全長10kmに渡る国境警備地区をつくり、現在、すでに警備システムを 設置して監視可能な状態になっているという。

http://www.recordchina.co.jp/group/g21228.html