USSR 覚書

ソ連、記憶に残っていること・・・、ノスタルジックに。

大阪万博ソ連館

ussr1970年、大阪千里丘陵で開催された万国博覧会のソ連館、ゴシックをデフォルメしたような天にも届く屋根のラインが印象的だった。万博には都合2回行ったが、2カ国しか見なかった(見られなかったといったほうが正確だろうか)。何れも日帰りだったこともあるがその一つがソ連館だった。もう一つはアメリカ館だった。どちらを先に見たか定かではないが、ソ連館で印象に残っているのが、人類初の人工衛星スプートニク号やボストーク号による人類初の宇宙飛行士、ユーリィ・ガガーリン少佐のことなどだ。もう一つ記憶に残っているのがブラーツク水力発電所だ。とにかく宇宙開発にしろ水力発電所にしろスケールが大きい話題だった。


隣国ソ連

Marinaソ連は確かに地理的には隣国だが、それはそれは遠い国に感じた。共産主義国、北方領土問題等をとおして日本の現実的な社会からは隔絶したような遠い世界だった。しかし、この旅行で会ったインツーリスト添乗員の言葉を聞いて考え方を改めた。彼女は、ウラジオストク極東大学で日本語と日本文化を学んでいた学生だったが、”どうして日本語を学んでいるか”と質問を投げかけたら、”お隣だからだよ”という返答だった。納得。


横浜港大桟橋から出航

ナホトカ航路は、横浜とナホトカを結びソ連の極東海運(Far Eastern Shipping Company; FESCOによって運営されていた。私が乗船した船はハバロフスク号という名称、大桟橋に横付けされていたハバロフスク号の第一印象はかなり小さな船だなーだった。一番安い5等か6等の船室を予約したが、乗客が少なかったので4等船室に格上げされ、ちょっと気分が良かった。

横浜港は国際港、当然、税関と出入国管理事務所があった。船旅での出国はこのとき初めてだったが、空港とは違うのんびりした雰囲気を感じながら手続きをした。横浜税関、横浜出入国管理事務所、現在の大桟橋とは違い古めかしさを感じた。航空機の利用が一般化する前の渡航といえばこのような風景が当たり前だったのだろうな。

大桟橋から船が離れ、後ろ手に山下公園や横浜マリンタワーなど山下公園地区、山手地区を眺めながら三島由紀夫の午後の曳航を思い出す。が、そんなつやっぽさはない出航だった。記憶が定かではないが、重く雲が垂れ込めたお天気の中、桟橋を離れて船上から横浜の港を眺めているとやがて、建設中だったベイブリッジの下部工の横を通過した(と思う)。その先は東京湾、そして浦賀水道だ。

FESCO

FESCO極東海運(FESCO)の乗船カード、私がもらったわけではなくネットの中からできたもの、出所は定かではない。この乗船カードに見覚えがあり保存しておいた。当時、乗船前に吸殻入れをもらった記憶、タバコを吸っていなかったので引き出しの奥に入れたままだが、もしかしたら今でもあるかもしれない。

私が乗船した船は、ハバロフスク号という船舶、仕様を調べようと思って何度か検索するがなかなかヒットしない。

この海運会社、現在もロシアの海運会社として存在し、コンテナを中心に海運業を継続している。歴史は長く、webには126年とある。


ナホトカ港から極東鉄道・シベリア鉄道へ

ナホトカ港へ入港するとき、これが凪という表現をする海だと納得の行くような静かな海面をすべりんながらアメリカ湾を進んだ。港には軍事施設もあり、セルゲイ(ハバロフスク号の添乗員)が写真は撮っちゃだめだよと建前をとりあえず言ったが、艦船が見えてくると数枚シャッターを切った。ハバロフスク号が岸壁に着岸し、タラップが下ろされるまで船上から港の中をずっと眺めていた。目の前の青い壁の古めかしい建物が税関と入国管理事務所との説明をうけ、下船する他の乗客とともに荷物(バックパック)を担いで歩いていった。何だかよくわからないけど荷物を開けろといっているので開けた。金髪の美人女性税関職員が何か質問したが良くわからなかった。面倒くさくなったのかOKというので荷物をまた積め外へ出た。そこに、また、インツーリストの職員がイカルスのバスとともに待っていた。このバスで、太平洋駅へ移動することになり、オプショナルツアーを申し込んでいる人は、我々が降りたあとナホトカの日本人墓地などを見学しに行った。

ハバロフスクにて

忘れ難い、ヴォストーク号からロシア号への乗り換えの待ち時間にハバロフスク駅前の住宅街で写真を撮っていたら民警に捕まり警察署へ連れて行かれ、ロシア語の書類にサインさせられ、フィルムを没収された。幸いカメラは戻ってきた。そして、ロシア号に乗り遅れそうになった。後から聞いたところ、インツーリストの添乗員マリナがロシア号を30分ほど待たせてくれていた。警官がジープでホームまで送ってくれたのでギリギリ間に合ったというわけだ。

詳細はハバロフスクのページにて。

イルクーツクとバイカル湖О?зеро Байка?л; Ozero Baikal

バイカル湖は世界で最も深く、世界で最も透明度の高い湖という程度の知識しか持ち合わせていなかったが、丁度シベリア鉄道の中間にあることもありイルクーツクで一泊する予定を組んだ。

行くまではわからなかったがバイカル湖湖畔にロストヴァンカという観光村があり、宿泊施設もあった。

モスクワのコスモスホテル、夜も外国人専用?

Hotel Cosmosモスクワでのホテルは、コスモスホテルだった。このホテルはモスクワオリンピックのときに建設されたホテルで、メリディアンの運営と聞いていた。当時は、ホテルを選択することは難しく、予約が入れられるホテルにしたらここだった。外国人用ホテルなのだが、ソ連人も多く宿泊していた印象だ。ホテルの各階に鍵を管理する女性がいてハウスキーパーと兼務なのだろうか、部屋のことは全てこの人たちが握っている。鍵を取りにいくと慇懃に物品をねだられたものだ。

ベリョースカ(白樺)というドルショップがホテルの中にあり、多くの西側の商品が溢れていた。赤の広場に面しているグム百貨店の商品とは種類が違う。酒、タバコ類、化粧品など並みの免税店の様相だった。ロシアの民芸品が気に入ったが先が長いので断念した記憶がある。ベリョースカは、確か銀座にもあったような記憶だけどどうだろう。

人の出入りには非常に気を使っていたようだが、タバコ一箱でなんとでもなったようだ。夜はロビーに華やかな外国人専用?嬢がお出ましになるようだ。見ていると幅広く付け届けをしているようで概ねホテルの中は自由に行動できているようだ。

http://www.hotelcosmos.ru/

5カペイカの地下鉄と美術館のような駅構内(モスクワ)

モスクワの地下鉄駅構内は美術館のような美しい造りだ。これにはまったく驚いた。そういうデザインを施す考え方に興味を惹かれた。また、シェルター的な意味合いもあったと聞く。

http://www.mosmetro.ru/


街角のピロシキ(pirozhki)

モスクワの街角で人が行列しているのを見かけ私も並んでみた。何だろうなと前の人に聞くとピロシキだという。そうかそうかと順番まで待って一つ買った。ロシア風の揚げパン、肉まんをロシア風にしたような感じかな、蒸すのじゃなくて揚げたもの。これが最高に旨かったのだ。

ピロシキの作り方

ソ連の人々

ダーチャ(簡易住宅付き家庭菜園)Dacha дача

Dacha - what does it mean for a Russian?

http://www.ldacha.ru/

一言で言えば家庭菜園、都市住民が週末郊外の簡易住宅付き家庭菜園で野菜を栽培したりして過ごす施設だろうか、食料の供給元でもある。

ダ、ハラショー、スパシーバ、ダスビダーニャ

最初に憶えたロシア語だ。

ベースが無かったのでそれ以上はない。

いつかはロシア語を学んで、ロシア語でロシア人を笑わせてみたい。これはちょっと高もぞみか。

自由に食事が注文できる程度が当面の目標かな。

多民族国家

ソ連邦は15共和国から構成される連邦国家であり、地理上は共和国の中にあるが連邦政府の直轄地であった16自治共和国があった。その他、自治州という行政体もあった。国土の広さからも伺えるが共和国や自治共和国は民族の多様さ、複雑さを物語っている。

ソ連邦構成15共和国(現在の国家):
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 - ロシア
エストニア・ソビエト社会主義共和国 - エストニア
ラトビア・ソビエト社会主義共和国 - ラトビア
リトアニア・ソビエト社会主義共和国 - リトアニア
白ロシア・ソビエト社会主義共和国 - ベラルーシ
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 - ウクライナ
モルダビア・ソビエト社会主義共和国 - モルドバ
グルジア・ソビエト社会主義共和国 - グルジア
アルメニア・ソビエト社会主義共和国 - アルメニア
アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国 - アゼルバイジャン
カザフ・ソビエト社会主義共和国 - カザフスタン
ウズベク・ソビエト社会主義共和国 - ウズベキスタン
トルクメン・ソビエト社会主義共和国 - トルクメニスタン
タジク・ソビエト社会主義共和国 - タジキスタン
キルギス・ソビエト社会主義共和国 - キルギス

ソ連の鉄道

ロシア号

シベリア鉄道を走る列車、ナホトカ航路だとハバロフスクでロシア号に乗り換える。ナホトカからの極東鉄道寝台車輌と変わらずモスグリーンに黄色いラインが引かれた東ドイツ製寝台車輌だった。機関車は赤い星が正面に付いている。

この列車で6泊7日したことになる。

赤い矢(Red Arrow Express)、レッドアロー号

モスクワからレニングラードまで乗った夜行列車、翌朝にはレニングラードに到着した。同室にマリからの留学生がいた。車両はロシア号と同じ規格だ。

http://www.expresstorussia.com/trains_moscow_petersburg.html

ドニエプル号

モスクワからキエフへの列車、寝台車はロシア号と同じ仕様、このときは一泊の夜行列車、早朝、ドニエプル川の鉄橋をゆっくり渡り、キエフに到着した。2等寝台車、4人部屋。

レニングラード

レニングラード国立バレエ劇場

泊まっていたインツーリストホテル窓口で情報を入手、6米ドルだった記憶、地図を見てバスを乗って劇場場で行った。題目はくるみ割り人形か白鳥の湖だった、席は真ん中ぐらい、満席だった。夜行列車の疲れかすごく眠かったが何とか最後まで観賞した。19時から開演、21時過ぎにに外へ出た時にはまだ夕方のように明るかった。それで

http://www.leningrad-ballet.jp/

白夜とネヴァ川

インツーリストホテルの窓からぼんやりと沈むゆく太陽は印象的だった。時計を見ると午前1時過ぎ、これが白夜というのだろうかと考えた。

エルミタージュ

巨大な元宮殿、現在は博物館、ルーブルに匹敵する所蔵品の数々。

ベニスと例えられるレニングラード

ネヴァ川のほとり、運河が多いことからそう呼ばれるのだろう、街を歩いていると端がよく見えた。

夏の宮殿、ペトロドヴォレツ

レニングラード郊外、ペトロドヴォレツに位置するピョートル大帝の夏の宮殿、フィンランド湾へビスタが伸びるフランス式庭園は素晴らしい。からくりのある噴水なども楽しい。ホテルのインツーリストカウンターで申し込んだ。