シベリア鉄道・点描(1985年7月)

シベリア鉄道スケジュール | シベリア鉄道・点描

鉄道でのユーラシア大陸横断

Yokohama > Nakhodka > Khabarovsk > Irkutsk > Moscow Yaroslavli

Siberian Railwayナホトカ-ハバロフスク間 Siberian Railway02s 停車中の休憩
ナホトカを出発した直後 大地へ足を下ろす

ナホトカからイルクーツクまでは地形や路線線形の変化があり車窓を楽しませてくれたが、イルクーツクからモスクワへの3泊4日はほとんど車窓に変化がなかった。(左)

シベリア鉄道が停車中は必ずホームに下りて地面を確かめた。(右)

インツーリスト添乗員マリナ シベリア鉄道 食堂車にて
マリナ インツーリストの添乗員

ナホトカからモスクワまでインツーリストから添乗員が付き添った。彼女の名はマリナ(海の子)、当時ウラジオストク大学で日本語と日本文化を学ぶ学生だった。彼女は、夏休みを利用してこの仕事をしていた。時間がたっぷりある鉄道の旅、知らないことばかりのソ連のことをたくさん聞いた。彼女は日本について、日本が隣人だから興味があり学んでいるという。この言葉は印象的であった。確か大学2年生で20歳だった記憶、2年程度でこんなに日本語が話せるようになるものかと感心した。

シベリア鉄道 二等客室 Siberian Railway 私も
同じコンパートメントの乗客 フランス人2、日本人2

2等寝台車、4人用の車内、広くて快適。ちなみに1等寝台車は2段ベッドでないだけ(2人用)だった。同室は、パリへ帰省する暁星学園のフランス人ラテン語と歴史教師、日本人美大陶芸講師らと同室だった。美大講師は横浜からモスクワまで同じ行程となった。

シベリア鉄道 ある駅で シベリア鉄道時刻表
とある駅にて シベリア鉄道時刻表

時々列車は停車する。外へ出て身体を動かしたり駅の様子をうかがったりした。シベリア鉄道の駅弁は、ジャガイモを蒸したもの、モミノキチューインガムなど自然いっぱいだった。(左)

ロシア号の時刻表(ややピントボケ)モスクワーウラジオストクと書いてある。時間はモスクワ時間で運行されている。(右)

Siberian rail Siberian rail
食堂車 髭のウエイター

なんとも優雅な食堂車の様子(ピンぼけで失礼)、ロシア人は食べ物を持ち込んでいたが、外国人は食堂車で毎回食べた。そのために車輌を移動するのが一つの楽しみになっていた。

食事代は1.0-1.5ルーブル程度だったと思う、キャビアも時々オードブルとして出てきた。メニューは決まったものがあり、何も言わないでもあるものが出来てた。支払いはナホトカで両替したルーブルで支払った。

長旅ゆえ食事は楽しみの一つ、何度もボルシチとビーフストロガノフを食べた。

髭のお兄ちゃんはウエイター、シートの色は赤かった(別に意味はない)。テーブルを見てわかるとおり、ちゃんとテーブルクロスが掛けられていた。食堂車といえどもフォーマリティがあった。

シベリア鉄道 草原と夕日 シベリア鉄道 お花畑
地平線に沈むだろう夕日 夏の平原、ウラル山脈を越えたどこか

イルクーツクを出てから草原が延々と続いた。何日も同じところを走っているのじゃないかと錯覚しそうだった。

イルクーツクからモスクワまで3泊4日、ウラル山脈を越えると景色が何日も変わらない草原、草原、草原・・・。

シベリア鉄道 お花畑 シベリア鉄道 モスクワ到着
お花畑、朝、列車が停車していた モスクワ・ヤロスラブリ着

ある朝、気が付くとお花畑の中で列車が停車していた。こんな世界があるのかと感嘆した。

1985年7月8日16時40分(写真右)モスクワ・ヤロスラブリ駅到着、9300キロに及ぶ鉄道旅行の終着駅だ。ナホトカから7泊8日、恐る恐るシャッターを切った。

この後、モスクワ散策キエフレニングラードへ移動した。

そして、ここから東西ヨーロッパへの旅が始まった。(東ベルリンワルシャワプラハブダペストなど)

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