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横浜大桟橋からナホトカ航路シベリア鉄道の旅
1985年6月29日11時、横浜港大桟橋からソ連極東海運(FESCO)のハバロフスク号でナホトカへ向けて出航した。その日は梅雨の半ばでどんよりと曇った日だった。大学時代の友人に当時住んでいた墨田区緑のアパートから横浜大桟橋まで車で送ってもらった。シルクセンターの交差点から大桟橋に近づくとこれから乗り込むだろう停泊している船が見えてきた。大きくもなく小さくもなくこんなものかと思った。 出国手続きのためゲートへいくと日本人のほかに外国人も多数いた。ほとんどが若者旅行者だ。ここは成田の出国ゲートのような混み方ではなくぱらぱらと2カ所のゲートに吸い込まれて行く、並んでも数人だった。ゲートの前で荷物を開けているひと、見送りの人と話している人などゆったりとした時間の流れだった。
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| 出国手続き(横浜大桟橋) | 船上から |
横浜港大桟橋からハバロフスク号でナホトカへ出航
いよいよ出航の時が来た。甲板に出て送ってもらった友人を探しに行った。映画で見た出航のように既にカラフルな紙テープが投げられていて、私の友人も何本か投げてくれた。ボーボーという汽笛とともにハバロフスク号はゆっくり桟橋を離れて出航した。 しばらく甲板から今出航したばかりの大桟橋や山下公園の方向を眺めていた。
船室の住人は、フランス人2、日本人1そして私の4人であった。フランス人は暁星学園のラテン語と歴史の教師でこれからパリへ帰省するのだという。日本人乗客は美大の講師でこれからパリへ留学するとのこと。 船室は最低クラスを予約したのだが、上のクラスが空いていたことからグレード上がっていた。5等から4等へのアップグレードだっただろうか、船室は5等でも4等でも4人部屋でたいして変わらないことが後からわかった。ただ、船底からの距離が1層分遠のいたらしい。そうするとエンジンの音が若干和らぐ。船は上に行くほど高級なのだとそのとき認識した。船の甲板には小さいけどプールもあった。
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上:出航時、テープを投げてくれた友人 右:出航後、甲板より山下公園方向を望む 右下:出航前、ハバロフスク号の前にて
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ハバロフスク号の船内
ナホトカまでの行程は2泊3日、飛行機で行けば2時間程度の距離なのだろうがゆっくりゆっくりと先へ進む。梅雨時の曇り空の下、横浜大桟橋からハバロフスク号は出航した。東京湾を出た船は進路を北に取り本州と平行して進み、津軽海峡を越え、日本海を横断してナホトカへいたるルートだ。津軽海峡に差し掛かる頃には夜の帳が下り、外をみるとふわふわと浮かんでいるような漁り火がみえた。
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| ハバロフスク号 | 4等船室 | モスクワへ里帰りする子供たち |
ハバロフスク号の乗客
最初に少し船室のところで触れたが、ハバロフスク号の乗客は、モスクワへ里帰りするロシア人親子、 ハンガリー人外交官家族、米国へ帰国する英語教師夫婦、フランスへ帰省するラテン語教師、日本人観光客など様々だった。 勿論ソ連人(ロシア人)、インツーリストの通訳が乗り込んでいた。彼の名はセルゲイといった。何度も日本へ来ているようで、 日本語もかなり達者で生活の違いをいろいろと聞かせてくれた。
船内の過ごし方
船内の生活はいたって暇であった。船旅とはこういうのんびりしたものかと思った。甲板へ出て海を眺めるか、会話をするか、本を読むかである。こうした単調な時間の過ごし方の中では食事の時間が楽しみの一つとなる。
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| ソ連の御もてなし、スープは味噌汁 | 甲板で時を過ごす |
食事は時間になるとアナウンスがあり、レストランまで出かけていく。アナウンスは日本語でもされるが、ロシア人の流暢な日本語に常に感動した。時々ジョークも飛ばしていた。食事はロシア人シェフが作っているのだろうか、日本食に似たメニューもあったがそれは日本食からは程遠かった。しかし、それもまた旅の楽しみと思った
船内での食事風景
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| 船内の食事風景 | モスクワへ里帰りする家族 |
ロシア民謡とダンス
単調な船旅にはアトラクションが付き物。ハバロフスク号ではもちろんロシア民謡とダンスだった。小学生か中学生のときに聞いたことのあるロシア民謡にあわせてロシア民族衣装をまとった男女が踊り様は楽しいものだった。そのなかでも金髪のロシア人女性からは目が離れなかった。
出航二日目(1985年7月1日)
前夜、津軽海峡を通過したときに漁り火が見えた。写真では判断できないのが残念だ。目を凝らす陸地がシルエットになっているのが確認できた。
二日目のハバロフスク号は日本海の真っ只中にいた。甲板へ出るとどんよりとした天気の中日光浴を楽しんでいる乗客がぱらぱらした。プールもあったが、この気温で入る勇気はなかった。日本海は、静かだった。一面の凪だった。
出航3日目(1985年7月2日、ナホトカ港入港
3日目に海岸線が見えてきた。陸地にどんどん近づいていきハバロフスク号はゆっくりとナホトカ港へ入港した。この湾の名はアメリカ湾という。由来はわからないが、当時は冷戦時代だったのに。
アメリカ湾へ入ったころからインツーリストの添乗員から注意事項があった。ここからは写真の撮影は禁止だという。ソ連へ入国するということを確認したかのようだった。











