このサイトについて

このサイトは、113日間を費やして概ねヨーロッパ全域を鉄道で旅行したときのソ連・東欧編です。往路の交通機関としてナホトカ航路シベリア鉄道を利用しユーラシア大陸を横断、モスクワ、キエフ、レニングラード、そして、東ヨーロッパ諸国(東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー)を旅行した。

1985年6月29日、予てより計画していたナホトカ航路シベリア鉄道経由でのヨーロッパ行きを実行に移した。出発の当日は、梅雨空で雨こそ降らなかったものの曇天、横浜港大桟橋からハバロフスク号で11時に出航した。

ソ連へ行こうと思ったきっかけ

青年は荒野をめざす直感というのはなぜかそうなるものである。「青年は荒野をめざす(五木寛之)」にシベリア鉄道でヨーロッパへ渡る一節があり、ふらーと入った書店で、「シベリア横断鉄道ー赤い流星ロシア号の旅(NHK取材班)」を見つけた。

ヨーロッパへは1983年に卒業旅行(当時はそんな言い方をしていたかどうか不明)で英国からイタリアまで鉄道で縦断した。次、行くならユーラシア大陸を鉄道で行ってみよう、それにはシベリア鉄道があるではないか?

小学生の頃、大阪万博EXPO70へ行った。そのとき、ソ連館とアメリカ館だけをみた(他には興味が無かったようだ、知らないこともあったと思うが)。なぜだか覚えていないが、アメリカ館はその前年にアポロ12号による月面着陸が成功し、そのときに採集した石が展示されているという前評判だったこともある。しかし、ソ連館は、子供ながらにどう考えたのだろうか・・・。

このような思いと20代の好奇心が繋がり、各種書籍や記事などから個人旅行の可能性が見極められ、行こうと考えたのだろう。

後日談:宮脇俊三のシベリア鉄道9400キロについては帰国後知ることとなった。

シベリア横断鉄道ー赤い流星ロシア号の旅(NHK取材班)

シベリア横断鉄道ー赤い流星ロシア号の旅(NHK取材班)

1981年の取材、翌年にこの本が発行された。昭和57年2月12日、19日にNHK特集で「シベリア鉄道」が放映されている。この時の映像であろう、2008年末にDVDで販売されている。

この本に巡り合ったことで具体的なシベリア鉄道情報が提供され、このルート選定が具体化したと思われる。


ソヴィエト見聞録と続・ソヴィエト見聞録(大蔵雄之助著)

その後、ソヴィエト見聞録 放送記者の見たままノート、大蔵雄之助著、続・ソヴィエト見聞録 モスクワ特派員5万キロの旅、大蔵雄之助著を探しだした。

ソヴェト旅行案内(中公新書)、野々村一雄著

ソ連旅行の翌年、ソヴェト旅行案内(中公新書)、野々村一雄著を見つけた。全くの調査不足を痛感した。

ソ連計画-ユーラシア大陸横断の実行

資金計画

先ず、実行に移す資金計画を立てた。

精査の結果、ヨーロッパを含めた総滞在期間100日間とし、一日あたりの平均支出を3500円で35万円、ナホトカ航路、シベリア鉄道、ソ連国内の宿泊費等で約20万円、復路の航空運賃10万円の計約65万円とした。

この計画を実行に移すため資金を貯め始めた。当時の手取り給料が15-6万円程度、毎日終電という残業ばかりだったにもかかわらず小さい会社だったのと駆け出しの身の上、残業手当てはなくその代わりに月1万円の増額に甘んじた。大会社だったらボーナスで賄えたであろうが。よって貯蓄のスピードは鈍行だった。途中から関連会社が購入したマンションが空いており寮代わりに住まないかという話があり、直ぐにこの話に乗った。これで、少しは貯蓄のスピードがアップした。

約60万円、今じゃこの程度は数ヶ月のバイトでも貯められる金額だろうが、約1年かかって資金を貯めた。同時にどうやったら効率的に安く旅行が出来るのか、口コミ、雑誌、書籍などから情報を収集した。

情報収集

今時と違い、webに質問すれば返答が帰ってくるような時代でない。当時は、口コミや本などから読み取る以外なかった。本屋へは頻繁に足を運んだ。旅行記など、片っ端から関係ありそうな本に目を通した。正価じゃ買えないから神田の古本屋街へも足を向けた。不幸にもこのような計画を実行した人が周囲にはいなかったので本当に手探りだった。

ソ連旅行の実行

交通費、宿泊費、食費等を各種参考資料から精査し、最低予算でシュミレーションにシュミレーションを重ね実行を決定するに至った。当時は、西ヨーロッパまで行けば何らかのアルバイトができるかも知れないとか、イスラエルのキブツで働けば暫くは凌げるだろうという安易な考えも頭の片隅にないことはなかったがこれは実行しなかった。

旅の準備へ

掲載している写真と使用したカメラ

新規に調達した一眼レフ、CANON AE1-P

この旅行ではしっかり写真を撮っておこう、しかもリバーサルでと考えていた。写真は子供の頃から好きだったが自前のカメラを持つにはいたっていなかった、よって、出発前に調達した。

このサイトに掲載している写真は、一部(Kiev)を除いて自前の写真です。カメラはCanon AE-1 Programというこの旅行の直前に新橋の中古カメラ屋で購入したものを使用した。レンズは同時に購入したCanon 35-70mm f 1:3.5-5.5と絞りが一定でない廉価ズーム。当時、カメラ本体とレンズで3.8万円だった。本来はNikonを使いたかったが予算合わず、そして、レンズはもう少し明るいものをと思いながら旅行予算を温存するためこのレンズになった。

これまで一眼レフを所有したことがない素人だったので、もう少し知識があったら絞り一定の明るいレンズになったのではないだろうか。試し撮りなどしている余裕なくぶっつけ本番となった。

フィルム、コダクロームKodachrom 64

フィルムは、ネガとリバーサルを使用した。ネガフィルムは餞別にもらったSakuraが多かった。工事用を流用したのだろうがたいへん有難かった。Iくん、どうもありがとう。自前で用意したのはKodachrom 64とEktachrome100。レンズの性能と合っていないが、先輩諸氏から聞いていた鮮やかな色が出て保存が効くと評判のリバーサル(Kodachorome 64 36ex)で撮っておきたかった。

このとき使ったコダクローム64、20年を経過しても色はまったく変わらない素晴らしいフィルムだ。2007年末で製造中止になったのは残念の極みだ。

キエフの写真

キエフの写真が無いのはバスツアーへ行く際、部屋にカメラを置いて出かけてしまったからだ。本当は取りに戻りたかったが、今ほど言葉も出来たわけではなく、写真集でも買えばいいかと安易に考えた結果だ。

紛失したネガ

このサイトに掲載されている写真は、ネガが紛失したため、プリントをスキャンしたものとリバーサルをフィルムスキャンしたものです。最初のころ、ネガをよく使ったので直接スキャンできればと思っているが、ネガ、出てこない・・・、会社の部内引越しで出張中に処分されてしまったのだろう。リバーサルは全て保管しており時間が出来次第スキャンしてアップして行く予定です。

作者自己紹介

現在、政府開発援助に関わるコンサルタントをしている。 ソ連を構成していたCISや中央アジア諸国、影響下にあった東欧諸国、その他、ソ連が支援していた中近東やアフリカの国々での業務にも従事する機会があり、今もってソ連時代の影響力を目の当たりしている。 それゆえに近現代史は私にとって最重要項目であると考えている。